カトリック礼拝会日本管区のホームページです。

女性とともに -Hacer-

相対的貧困と「女性と子ども」

2016年9月18日 | CATEGORY - 女性とともに

 

「今年5月の児童福祉法の改正で「来春から高校や大学に通っていれば22歳の年度末まで自立援助ホームにいられるようになった」ことは評価できる。しかしながら「在学者は入所者の3割未満で「就学する力がない子ほど支援が必要」。そもそも年齢で支援を仕切ること自体がおかしく、支援の必要がなくなるまで続けるのが本来の在り方。自立援助ホームの職員は入所者の支援の合間に退所者の対処をしているのが現状。専任スタッフの配置を国に求めたい。」」(2016/09/18朝日新聞「子どもの貧困 自立援助ホーム 期待と課題」)

 

 少し前に「貧困女子」という記事が話題になりましたが、そもそも貧困には絶対的貧困と相対的貧困という分け方があり、話題となった「貧困女子」というのは相対的貧困に属するのではないかと思われます。OECDでは、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員を相対的貧困者としている。相対的貧困率は、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示される。

日本の場合、少し古いデータですが、平成21年度の日本の所得の中央値が250万円なので、125万円以下で生活している人が貧困ラインを下回っているということです。

貧困ラインを下回っている人の年収が125万円であり、月収でいうと約10.4万円です。これに当てはまる人(相対的貧困者)が日本だと16%、6人に1人いるということです。

 

・「相対的貧困」は、ときに「絶対的貧困」と同レベルのダメージを人に与えます。

・「日本の貧困状態の子どもたちの方が、精神的な落ち込みが大きかった」

・「周りのみんなにとっては当たり前の生活が自分だけ享受できない」という状態は、子どもたちに破壊的なダメージを与えます。そして、「なんで、僕だけ?」 を繰り返した子どもたちは、もうその言葉を言わなくなります。その代わりに、ある言葉を繰り返すようになります。それは次のような言葉です。「どうせ、僕なんて」

(「ビッグイシューオンライン」より)

 さらに私たちの使徒職現場に来られる女性や子どもたちは、虐待や様々な搾取にあってこられる方が多く、しばしば「絶対的貧困」よりも悲惨な状況に置かれてしまっている方々が多いと感じられます。

 

 私が現場で出会った女性で、小さいころから母親からあまりにもひどい虐待を受けてきており、現実逃避のために非現実の世界(アニメ)に逃避するしかなくて、日常生活でのコミュニケーションに苦労した女性がいらっしゃいました。日頃の会話にも「殺す」とか「死ね」などのことばを普通に使っておられ、私自身は違和感を伝えながらも、ご本人の「いま」を尊重して付き合うようにしていました。しかしなかなか社会には受け入れてもらえず仕事を転々とせざるを得ませんでした。ご本人が「いま」から脱するためには「虐待を受けてきた期間+α」が必要といわれています。それもその期間を同伴する人がいたらの話です。私は「私自身につきあってくださっているイエス」と二人三脚でお付き合いさせていただいているつもりでしたがそれでもかなりしんどい時があります。

これからも現実にあった法改正を推し進めていただけるように活動すると共に、三位一体の神様がますます危機的状況にある女性や子どもたちの心に触れてくださるように祈り続けたいと感じています。