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召命 -Vocación-

創立者の体験 ②

2018年1月11日 | CATEGORY - 召命

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ミカエラ・デメシエーレス:責任のある憤り

 

ミカエラの最初の教育学的特徴は責任ある憤りです。1968のバリオスや2000年のミレナ・トッフォリのように、マリア・ミカエラの歴史を深めた著者たちは、貧しさや不正義[1]に対する彼女の召命と特別な感受性を強調しています。私たちの見たところ、この2つの特徴は生涯の流れの中で変わってきています。若い時から、自宅で識字やカテケジス(カトリック要理教育)のクラスをしており、パリやブリュッセル、マドリッドでの女性たちへの同伴や刑務所の女性たちへの訪問という体験にまで至っており、それが弱くされた女性たちへの特別な感受性としてあらわれているのです。しかし、非常に早くからの奉仕と不正義への特別な傾倒という召命は、あわれみ深い感受性を責任ある憤りへと変容させました。聖マリア・ミカエラの固有の歴史には、感受性が、女性たちとの積極的なコミットメントに変化したこととして書かれています。

 

弱くされた女性たちに向かう感受性は彼女たちを放っておく事が出来ません。そしてその感受性は神の聖ヨハネ病院の性病科の女性たちへの同伴になり、「ショールの少女」[2]との出会いとして知られる一節の最高の表れへと至ります。その出会いは、礼拝会の社会使徒職が始まるための霊的いのちとインスピレーションのモーターに変わりました。ショールの女性は貴族の出身でしたが、まやかしと腐敗の犠牲者となり長い間、売春へと逃避していました。ある種の性病が神の聖ヨハネ病院で回復しました。彼女の唯一の持ち物は一枚の高価なショールで、ミカエラは盗品ではないかと疑いましたが、少女に起こった真実の物語を耳にした時、ミカエラの心が動き、彼女を助けようと心に誓いました。このように彼女自身も自叙伝の中で書いています。

 

この物語や他にも話せば長くなる沢山のお話があります。私の継続的な病院訪問は彼女たちに気づいて、彼女たちを助ける場でした。いつも難しいのは彼女たちが身を置く場所を探すことでした。この時、しばらく住む事が出来る家や避難所という私の最初のインスピレーションが生まれたのです。[3]

 

その少女や同じ科の女性たちとの出会いは彼女へ慈善事業のインスピレーションを与えるものでした。ミカエラの感受性は売春を選んだ女性たちの味方となるほどに、活発で責任感のある憤りにまで成熟していきます。このようにその感受性によって、女性たちに衛生手帳[4]を取り戻し、そのような環境の女性たちから屈辱的な襟[5]や他のしるしを取り除くように訴えていく活動と同時に、ブリュッセルの警察との間を仲裁していたのでした。

 

彼女を特徴づけている深い神秘の中で霊感を受けた感受性と責任ある憤りは、最終的に売春をしていた女性たちのための最初の寮を開くことを具体化しました。

 

修道会が生まれる数年前、マリア・ミカエラとその少女の出会い、彼女の博愛心と奉仕の召命が1845年に最初のセンターを開くに至らせたのでした。初め、ミカエラはフランス人のシスターたちの修道会にそのセンターの管理を譲った方がいいと思っていました。その一方で彼女は資金や物質的な援助を探し、社会復帰活動を提供する婦人会を組織していました。おそらく今日私たちが女性の権利を守るための外交的、博愛的な活動としてのコミットメントと呼んでいるものでしょう。間違いなく、それはその感受性と責任のある憤りから生まれた活動です。

 

[1] トッフォリの現代の著書に加えて、マリア・ミカエラの姿勢のより徹底的な歴史的研究のひとつとしてBARRIOS.A(1968)によるものをあげる事が出来る。「強き婦人―聖体の聖マリア・ミカエラ」マドリッド、Ediciones Cocusa

[2] ミレーナ・トッフォリは家を開くためのインスピレーションとしてその出会いを強調しています。(自叙伝11-3)TOFFLI.M(1981)聖マリア・ミカエラの自叙伝、Madrid、BAC Biblioteca de Autores Cristianos.

[3] TOFFOLI.M(1981)「聖マリア・ミカエラの自叙伝」マドリッド、BAC、Biblioteca de Autores Cristianos, p116

[4]警察の一連の腐敗や恐喝を前にしてマリア・ミカエラが戦う姿勢を見る事が出来ます。その時代に売春を選んだ女性たちは、性感染症、主に梅毒の保菌者でないことを保証する衛生手帳を携帯させられていました。警察の恐喝とはそれらの手帳をごまかす事でした。その状況の詳細は以下を参照。TOFFORI.M(2008)Micaela.Mistica y Apostol.Publicaciones Claretianas,マドリッドp421の8

[5] 19世紀、売春をしていた女性たちは、洋服にある種の襟とマークを付けていました。そしてスティグマや社会的差別の重さを意味するそれらのマークは、「別の女性たち」つまり売春など、その時代特有のジェンダーパターンに合わない女性たちをコントロールするひとつの方法でした。マリア・ミカエラのブリュッセル滞在は彼女たちがスティグマを押され、コントロールされるという現実への接触となりました。それに彼女は気づかれないではいられず、彼女は売春の女性たちの状況と共に、その時代の襟やその他の屈辱的なしるしの使用を告発したのでした。

                                          「礼拝会の教育学2章」より