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召命 -Vocación-

創立者の体験 ④

2018年1月13日 | CATEGORY - 召命

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マドレ・サクラメント:コミットメントした愛と要求の多い情熱

 

最後に私たちはトッフォリが(1992年、2000年、2008年に)バリオスが(1968年に)詳細を既に説明している事を強調したいと思います。それは、女性へ向けた深い愛です。それは以前私たちが具体的に言及した、接近、受け入れ、女性へのコミットメントの中に見られる感受性と共感です。マリア・ミカエラによって書かれたテキストの中からトッフォリが次のように参照しています。

 

魂の娘たち、嘘偽りなく、説明できない方法で彼女たちを愛することを保証します。彼女たち無しで生きられません。彼女たちはいまや私の心に必要欠くべからざるものなのです。[1]

 

トフォッリは、マリア・ミカエラのミスティカ(神秘神学)はエウカリスチアへの深い愛と礼拝の姿勢から生まれたと2000年に書いています。間違いなくミカエラは日常生活からのミスティカで、それは奉仕とコミットメントの生活の中で福音的な価値を表現することを含んでいます。愛と応需性の姿勢はその教育学の中で個別的処遇や各女性への可能性への信頼の表れとなっています。マリア・ミカエラが「ただ一人のためだけでも私の命を与えるでしょう」[2]と言及しているように、支援する人の数ではなく介入の質に心をとめていました。ひとつの愛が、センターにいる間、現実に合った社会復帰の選択肢を探している女性たちへの心遣いとなるのです。

 

自分に厳しい愛そのものが各女性への処遇の中にありました。その態度が最初の年に寮の管理をしていたフランス人のシスターたちの修道会に別れを告げさせたのでした。ミカエラが支援者たちの無関心な処遇、偏見や非難、そして若者たちが彼女たちへ教える恐ろしい態度を知ると、厳しく出ました。彼女の家族も彼女の厳しい愛を理解しませんでした。その時のブルジョア階級は思慮に欠けているとレッテル貼りをし、見下しており、婦人会は消滅しました。深い何かがいつもミカエラを駆り立てていることや、諦めないために必要な力が与えられる礼拝とエウカリスチアによって感じられる彼女自身の深い召命をいつも理解しているカラサ神父の同伴がありました。何人かの女性たちが彼女のやり方をわかちあうために近づいてきて、寮で生きるためにとどまりました。修道会が誕生した瞬間です。

 

ミカエラの自分に厳しい愛が共同体の他のメンバーにも伝わっていきました。

 

ミカエラは女性たちに対して人間的で尊敬をこめた処遇をする様にシスター達に求めました。その態度が教育的でなく、教育学的接触において彼女たちを励まさなかった時はシスターたちを叱りました。疑いなく、女性たちに感じていた深い愛は他のシスターたちと共に、彼女たちを自己実現させるのに必要なものでした。当時、偶然ではなく寮則のなかで際立っていました。

 

支援者たちは全ての寮生を愛するためにどんな方法も省いてはいけません。彼女たちを愛するように努めましょう。愛する度に、彼女たちに優しく接し、善いアドバイスをし、彼女たちの悲しみを慰めるのです。」[3]

現代の他の教育者や支援者と同じように、ミカエラは現実につながっている活動の女性でした。それについての手書きのテキストを私たちはわずかですが準備しています。

 

それはミカエラの提示した教育学や、支援者としての体験についてあれこれ考えたことを書いているのではなく、修道会の起源の記録を残すために書いているという事は私たちもわかっています。

 

今日、彼女の手紙、自叙伝、その日常生活や修道会の歴史に関する書き物を通して、私たちはその活動や実践について調べることができます。

 

とはいえ、私たちは書かれた言葉について、教育学的ないくつかの実践を強調できます。

いつも女性たちへ思いやりをもって処遇すること、迷いや疑念を前にした彼女たちを慰めることをすすめ、決して体罰や叱責はしないで、健全な意見やアドヴァイスをすること。センターの組織については、この事業の中で女性たちの出入りは自由で、共同生活を容易にするための規則は不可欠ですが、本人の意志に反して女性たちを引き留めるようなことはしませんでした。

 

ミカエラは女性たちを子ども扱いしません。寮は囲い場ではなく生活共同体です。今日も私たちは菜園や庭の世話、家庭内の仕事の責任を分かち合っています。労働活動は特に意義がありました。特にその時代には、衣類に繊細で芸術的な刺繍をすることがとても流行っていました。又マリア・ミカエラは家族的な雰囲気を望んでいました。そのために細やかな心遣いを繰り返し強調し、余暇や気晴らしの活動によって、家族のように共同生活することを勧めました。

 

いつも女性たちが貯金をして、まとまった財産をもてるように気遣っていました。それは彼女たちが売春に戻ってしまったり、悪徳支配人と意気投合してしまわないためでした。

 

私たちはミカエラの教育学的態度や行動についてじっくり研究しました。なぜならばそれらが修道会の教育学的スタイルの種であると思っているからです。恐らく、それらの原理が現代の教育学にどのくらいのレベルでインスピレーションを与えているか、又どんな方法が、現代の実践に意味を与えているか、よりしっかり分析するのが適当でしょう。

 

 

[1] マリア・ミカエラのシスターカリダへの手紙。(1860年7月5日)CrpⅣ,n.1121.以下の書物より引用。TOFFOLI.M(2008)Micaela,Mistica y Apostol, マドリッド,Publicaciones Claretianas, p424, cita no17

[2] ADRATRICES(2006)Caminando.Plan General de Formacion.マドリッドーローマp10

[3] 1853年の寮のルールp16,1858年の寮のルールを再現したノルマNo9,p30,BARRIOS.Aによる記録(1968)強き婦人~聖体の聖マリア・ミカエラ~ マドリッド、Ediciones Coculsa,p277. Milena Toffoli(2008)は女性に対する体罰や侮辱をいかにいつも嫌っていたかを記している。フランス人の修道女たちの非人間的な処遇が、1年で寮の管理から追放する起爆剤となった。TOFFOLI,M(2008)Micaela.Mistica y Apostol.Publicaciones Claretianas,マドリッド