創立者の体験 ③
マリア・ミカエラ:情熱的な共感
私たちが強調したいマリア・ミカエラのもう一つの特徴は 情熱的な共感 と呼んでいる性格です。非常に早くから女性への同伴と、特にショールの少女との出会いにおいて際立っているのが女性たちとの距離の近さです。女性としての彼女たちの孤独、苦悩、そしてストーリーに深く共感する力です。寛容な態度が自分自身の世界観を完全に変えてしまったのです。
1992年にはトッフォリ、1968年にバリオスがショールの少女との出会いを、一つの根本的な体験として強調しています。ミカエラはその少女の境遇を知って、自分自身の先入観に、はっと気が付いたのです。売春や貧しさのスティグマの重さを意識し、より慣例的な宮廷のレッテルや抵抗と戦い、女性たちの言葉や必要へ心を開きました。その少女との出会いは心を動かす関係となり、双方を変容させました。少女はミカエラとの信頼へ心を開き、傾聴された、承認されたと感じ、彼女自身の不安を打ち明け、そして売春によって引き起こされていた忘却や無関心の傷への癒しを得ていたのでした。ミカエラは女性との親密な絆と責任を感じ、仕事探しや家族との接触の再構築などを助けていました。しかしボランティア的な時間通りの活動では不十分であるということに気づくのでした。売春の女性たちのための社会資源はなく、社会との統合の可能性はゼロに等しく、社会的差別があまりにもひどかったのでした。
共感と同情の力はミカエラの歴史の中で育っていきました。数々の文書や手紙が、彼女の傾聴力やいかにひとりひとりの女性たちの時へ敬意を払っていたかを物語っています。特に、長い全教育課程で各人の成育歴の守秘義務を気遣う事に敏感で又、その人の過去によって女性たちを判断する支援者たちとは戦っていました。
しかしマリア・ミカエラに関しては、彼女の共感はただ優しい態度だけではなく、ある種の批判的トーンを持っていました。19世紀の場末の街路の支援者としての活動の中で、売春の現実に気づき、分析し女性たちを疎外の状況から助け出すチャンスが不足している事がわかっていました。偽善や社会的な習慣をよく知っているので売春をしている女性たちに対する社会的な偏見の視線に非常に批判的でした。2008年にトッフォリは、ブルジョア階級からの社会的拒絶とミカエラのセンターを「常軌を逸した事業」とみなすいくつかの聖職者たちの集団について書いています。
彼女自身の兄弟は次のように言っていました。
「ミカエラ、あなたのしている事は下から漏れてしまう籠に水を注いでいるようなものだよ。あなたが集めた女性たちはほんの少しの間、その生き方から離れていてもすぐにあなたから去って行って、元の場所にもどってしまうでしょうよ。」[1]
19世紀にいかに同様の偏見が繰り返されたか、いかにスティグマの影響が売春や虐待の状況にある女性たちのアイデンティティをより弱らせたかについての興味深い結果があります。ミカエラの数々の手紙を通して、私たちは彼女の批判的態度を知ることが出来ます。その中に、彼女の社会事業や修道会のミッションを承認しない人々に対して彼女の反応を具体化するかのように、先入観や心の狭さの前にさらされている女性たちを擁護しているのが見てとれます。[2]
情熱的な共感によってミカエラは教育学的関係の中にある各女性たちを特別扱し、彼女の批判的な傾向が、修道女として19世紀の社会で疎外の状況にある女性たちのために実現しなければならない役目を彼女に理解させたと私たちは考えます。間違いなくその時代の進歩的な女性となる姿勢でした。
[1] トッフォリが集めた兄弟からの一通の手紙の一節。TOFFOLI,M(2008) Micaela,Mistica y apostol.マドリッドPublicaciones Claretianas,p288
[2][2] バリオスは1968年に最初の創立の際のマドリッドやバルセロナの司教からの初期の反対や、ミカエラによる女性たちのための事業の必要性に関する主張や売春の現実に対する社会の無関心についての攻撃的な回答を描いています。とはいえ初期の反対に関らず、家の開設は比較的早いペースで実現しました。バリオスはスペイン政府や聖座からの会憲の承認のために、ミカエラは17人のスペイン人の心ある、申し分ない高位聖職者からの推薦の手紙で、すでに話しを付けていたことを強調しています。このプロセスは申し分なく、異例の速さで、承認されています。BARRIOS.A(1968)強き婦人聖マリア・ミカエラ Coculsa,p326.
「礼拝会の教育学」2章